江戸城三十六見附を歩く

2011年11月27日 (日)

見附散歩のあとの楽しみ

江戸城36見附散歩後の楽しみは美味しいものを食べ、飲むことでした 

このことで散歩の歩数は積み重ねられました。

最終日は九州から来る方をお連れする下見もあって夜景の見えるところにしました。

新橋駅から地下道を歩いて汐留へ  

日本テレビのビル、汐留タワー、カレッタ汐留、汐留シティセンターなどのビルが

立ち並んでいます  

カレッタ汐留の46階には無料で夜景を見られるところがあるというので行ってみました。

東京湾に面したエレベーターはガラス張り。

高速で夜景を見ながら登って行くのです。感動です。

東京へいらしたときのおすすめスポットです。

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無料の展望スポットから、レインボーブリッジが見えます。

香港の夜景も素晴らしかったけれど、さすが、東京の夜景です。

隣のビルの46階でミニ宴会です  

こちらも夜景が見えましたが、カレッタの方が感激でした。

元気をつけたところで、新橋から有楽町の国際フォーラムまで歩きました。

線路の下にはオシャレなお店が立ち並んでいます。

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このエビスバーでちょっと寄り道 

若い女性のお客さんも結構います。

 

途中、写真を撮りながら・・・・・

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有楽町が近くなったら、昔ながらのこんなサラリーマン向きの・・・・・

お父さんたちの姿が見えます。

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東京にはいろんな表情がありますね 

 

2011年11月26日 (土)

江戸城36見附を歩く⑧の3

昨日の記事から少し、戻って・・・・・

富士見櫓から散策路を歩いていると松の廊下跡の標識がありました。

さらに進むと、茶畑があったり、大きなクスノキがたくさんあったり。

江戸時代の古い建物「富士見多聞」がありました。

倉庫として使われたいたそうで、この建物の向こうは蓮池濠です。

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昨日の続きで・・・・・

天守台から梅林坂を下って、二の丸庭園の方へ。

二の丸雑木林は自然な感じにしてあり素敵な散策路になっています。

昭和天皇の発意で都市近郊で失われる雑木林を復元しようと造成されたそうです。

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もう少し進むと二の丸庭園です。菖蒲の時期がよさそうです。

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池には珍しい「ヒラナガニシキゴイ」が優雅に泳いでいます。

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ここから下城門になっている平川門でこのシリーズはおしまいです。

ちょうど1年間で終わりましたが、とっても面白い歴史散歩でした。

終わってみればこの日の歩数計は24700歩でした。

2011年11月25日 (金)

江戸城36見附を歩く⑧の2

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江戸城36見附を歩くも、いよいよ大手門から本丸へとはいります。

 

大手門を入ると、

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旧大手門渡櫓の屋根に飾られていた鯱です。明暦の大火のあと再建されたものらしく

刻印もありました。

今の大手門は昭和40年に再建されたそうですが、3月の大震災で壁が壊れています。

 

大手三之門跡があり、中之御門、中雀門を経て本丸へ登城していたそうです。

大手三之門を入ると同心番所があります。門警備の詰所です。

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坂を上がって進むと、百人番所があります。これも江戸時代のままでここで検問していたようです。

長い木造の建物です。

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ここの右手が中之門です。石垣が残っています。

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門を入ると右手にあるのが大番所です。少し見えています。

この大番所には同心番所や百人番所より上のクラスの武士が詰めていたそうです。

建物の造りも立派な感じです。

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百人番所の奥に当たるところに富士見櫓があります。

万治2年(1659年)に再建されたままの姿です。

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明暦の大火で天守閣が消失した後はその代わりの役目も果たしてきたそうです。

 

天守閣の石垣です。

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明暦の大火の後、加賀の前田家が再建にあたっていましたが、石垣ができたところで

幕閣の閣議で中止になったのです。

 

天守閣石垣の上から見た広場、ここが本丸跡です。

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この芝生の広場が奥にも並んでいますから、大きさは驚くばかりです。

2011年10月21日 (金)

江戸城36見附を歩く⑧の1

このシリーズの最終日。

いよいよ「大手門から本丸に入り平川門で下城」編です。

東京駅丸の内北口から皇居へ向かいます。

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和田倉門の向かい側にある東京銀行協会ビルです。

昔このあたりには今の最高裁判所に当たる評定所があったそうです。

 

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この和田倉橋を渡ったつきあたりが和田倉門の跡です。

つきあたりを左側に行くと噴水公園があります。

 

まっすぐ皇居の方へ向かうと坂下門があります。

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車が出入りしていて、その度に警備の方が門を開けています。

 

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騎馬隊に出会いました。

騎馬隊が訓練をしているようです。

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騎馬隊が、坂下門へ帰って行きます。

 

この坂下門を見ながら後ろへ下がった右手に桔梗門があります。

団体の方がたくさん出てきていました。

 

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ここから、100メートルほど歩いて大手門です。

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壁がはがれているのは先だっての地震の被害だそうです。

 

さあ、ここからいよいよ今日のメーンイベント本丸へいざと思ったら、

月曜日と金曜日はお休みで入れない・・・・・と言われ、頓挫です。

なんとついていないことか。

続きは来月にでも・・・・・・・・・・

 

気分直しに 今日のGoogleです。

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2011年9月25日 (日)

江戸城36見附を歩く⑦の2

清水門から城内へ入り、武道館前を通ると田安門へ出ます。

城内から出る形なので櫓門から高麗門をくぐることになります。

武道館でなにか催しをやっていたので若い人たちが行きかっています。

 

写真は櫓門です。

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説明板を一つ。

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田安門を出て千鳥が淵沿いに歩きます。

右手にはインド大使館、千鳥ヶ淵戦没者墓苑、イギリス大使館などがあります。

半蔵門に着くころには足や腰が少々痛くなりますが、お茶するところもなく 

途中、ベンチで休みながら進むしかありません。

                                               

 

半蔵門です。ここは遠くから眺めるだけです。

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桜田濠に沿ったあたりは先日の台風で倒れた木があります。

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中には上から裂けて落ちた木もありました。生木を裂くという言葉を思い出すくらいでした。

このあたり桜の井と言って名水が湧き出ていたそうです。

 

警視庁の向かい側が外桜田門になります。

あの桜田門外の変があったところです。

雪の日の大事件が思い浮かびますが・・・・・映画のシーンですね。

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眼鏡橋より皇居内をみて・・・

二重橋は中にあるのだそうです。

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日比谷門跡を示すところなど残っていますが、最終回の次回に持ちこしです。

迷ったりしたせいか、思ったより距離があり、家に着いたら万歩計は24000を越えていました。

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2011年9月24日 (土)

江戸城36見附を歩く⑦の1

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台風が過ぎた後涼しくなり、江戸城見附散歩を再開しました。

今回は7回目でいよいよ内堀に入ります。

今日の出発は竹橋門からです。

まず、お堀沿いに清水門を目指したのです。ここは後でゆっくり見ようと、進んだら乾門に出ました。

 

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36見附の中にない門だと思ったら、ここは明治になって作られて門だそうです。

ネットを見たら、この門から天皇陛下たちの車列が出ている映像がありました。

 

ここで乾門交番のお巡りさんに出会い尋ねたら、

「この地図じゃわかりにくいでしょう、もっと見やすい地図をあげますよ」

と「国民公園 皇居外苑」という地図をくださり、清水門への道を丁寧に教えてくださいました。

清水門と思ったのは、北桔橋門(きたはねばしもん)だったのです。

 

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清水門です。

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正面の小さい門が高麗門、右手に見える大きな門が櫓門。

高麗門から攻め込んでもつきあたりは城壁、左は堀。櫓門からは攻撃できるような

構造になっています。

見附の門は枡形門と書かれていたのがやっと実感できました。

 

清水門の櫓門をくぐって中に入ると、

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右手の石段は当時そのままだそうです。

少しですがあんがいほねが折れますよ。

この櫓門の屋根の右の方にはこんな美しい文様で装飾されていてビックリしました。

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次は蕃所調所跡を訪ねました。

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九段下の交番の裏手にあります。

ここでもお巡りさんに訪ねました。若いお巡りさんが親切に教えてくれました。

鎖国を続けていた日本が開国するにあたり、通訳や翻訳者の養成も必要になって作られたそうで、

東大の元になっているのだそうです。

立て札は字が消えかかっていました。

 

途中に九段会館があります。

ここは3.11の大地震で亡くなられた方も出て、閉鎖されたままのようです。

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2011年6月 6日 (月)

江戸城三十六見附を歩く⑥の2

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遅めのお昼です。

おでん屋さんのランチです。

そば、マグロ丼、おでんと

盛りだくさん。

850円と東京のランチは意外と安いのです。

腹ごしらえをして後半に備えます。

   

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常盤橋を渡ったところに常盤橋門の石垣が残っています。右手には渋沢栄一の銅像がありました。

   

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外堀の平川(日本橋川)と外堀通りを挟んだ向こう側には日本銀行の建物があります。

当時ここには金座があったそうで今も昔も金融の中心地です。

写真の右手には貨幣博物館があります。

日本や世界の貨幣が展示されています。

   

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そのまま進むと竜閑橋のガードです。左が在来線、右が新幹線です。

くぐって少し行くと昔、竜閑川という運河があって竜閑橋がかかっていたのだそうです。

運河の右岸が商人町の日本橋、左岸が職人街の神田です。

   

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神田橋を過ぎたあたりから高速道路の下に外堀の石垣が雉子橋まで残っています。

この写真の3倍くらいの長さがあります。

   

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現在の雉子橋です。旧雉子橋は100メートルほど西にあったそうです。

外堀の城門はここで終わりです。

   

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雉子橋を渡ると一橋徳川家屋敷跡を示す高札と標柱があります。

そのまま進むと平川門へ行きます。

7日目のこのコースでは

鍛冶橋門、呉服橋門、常盤橋門、神田橋門、一ツ橋門、雉子橋門の

ある辺りをたどって散歩したわけです。

この日の散歩は17750歩でした     

2011年6月 5日 (日)

江戸城三十六見附を歩く⑥の1

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今日は南町奉行所のあったあたりの有楽町をスタート、外堀通り沿いに外堀の終点・雉子橋まで歩きました。

外堀沿いと言っても内堀、皇居(江戸城)に近いからでしょうか、見附の門位置もたくさんあります。

   

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有楽町を出発鍛冶橋方面へ歩きます。

外堀通りと鍛冶橋通りの交差点に「鍛冶橋」の説明板があります。

左手の方が鍛冶橋門のあったあたりです。右の方へ行くと京橋です。

   

大丸の横を抜けると、こんな標識があります。ここは本にないところでした。

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江戸城外堀の石垣が再現されたり、歴史散歩道になっています。

無料コンサートをやっていたあの有名な森ビルです。

   

外堀通りをそのまま進むと、日本橋川にかかる一石橋(いちこくはし)に出ます。

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左手のフェンスの中に「まよひ子のしるべ」と彫られた石柱があります。

石の左側に「たつぬる方」、右の方に「しらする方」と彫ってあり、

迷子探しの役を担っていたそうです。

子連れ狼の挿入歌「ててご橋」はこの橋らしいです。

   

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少し後戻りをして八重洲通りの中央分離帯にある「ヤン・ヨーステン」の碑を見てきました。

慶長5年(1600年)に九州豊後の国に漂着したオランダ船の高級航海士だった人で

このあたりに住んだ彼の日本名邪楊子(やよす)から八重洲の地名が出たそうです。 (つづく)

2011年5月 2日 (月)

江戸城三十六見附を歩く⑤

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連休の直前、江戸見附散歩の5日目、赤坂見附から有楽町まで歩きました。

外堀はすっかり埋められ、外堀通りとして名前を残すのみです。

   

 赤坂見附の駅からまず、日枝神社へ向かいます。

将軍家の産土神として手厚く保護されていたそうです。

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昼時なので近くのサラリーマン達が藤棚の下や木陰でランチ中です。  

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 外堀わきの旧道を通りながら、高速道路の下をくぐると榎坂があります。

そこを登って行くと米国大使館があります。

歴史のあるような素敵な建物の英国大使館に比べると普通のビルのような建物で

物々しい警備だけが目立ちます。

今日、ウサマ・ビンラディンが殺害されたのでもっと物々しい警備状態かもしれません。

   

 今の霞が関虎ノ門三井ビルディングの前に現存する石垣があります。

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国史跡 江戸城外堀跡 溜池櫓台と書かれています。

   

 そのまま、文部省まで進むとそのあたりが旧虎ノ門の位置だそうです。

   

外堀通りの一本内側の旧河岸通りを行くと日比谷セントラルビルの横に

発掘された石が保存されています。

ここは九州の大名が工事を割り当てれたたそうです。

柳川の立花、臼杵の稲葉、久留米の有馬、佐伯の毛利家です。

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 第一ホテルの角を曲がると山手線の線路沿いに出ますが、

そこが旧幸橋門の位置です。こんな石柱が立ててあります。

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銀座コリドー街(山手線沿い)の終わった辺りが旧山下門位置。

数寄屋橋を通り、南町奉行所跡で今日の散歩は終わりです。

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修学旅行で行った時は数寄屋橋があったような記憶があるのですが、

今は様変わりです。

   

 今日回った辺りは昔の大名家の屋敷があったところですが、

今は政治、経済の中心地になっています。

高層ビルが建ち始めたころ、霞が関ビルは群を抜いて目立っていて、有名でしたが、

今は周りに埋もれてどれかわかりにくくなっています。

これからもどんどん変わるのでしょうね。

   今日は約15000歩の散歩でした。   

       

2011年4月 8日 (金)

江戸城三十六見附を地図でたどる

昨夜、日付も変わろうとする11時半ごろ、大きな地震にびっくりしました。

宮城県沖での余震で仙台などまた震度6強の揺れで被害も出たようです。

新聞にはあと1年くらいは余震があるだろうと書かれていましたが、

はやくおさまってほしいと願うばかりです。

   

この散歩も半分終わり、番外編として外堀の桜を楽しんだところです。

頭を少し整理したくて買った本を参考に地図をたどってみました。

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この散歩は外堀から出発していますが、造られたのは内堀の方からでしょう。

  

第1日目   浅草橋門

第2日目   筋違い橋門

第3日目   小石川門

第4日目   牛込門

       市ヶ谷門

       四ツ谷門

       喰違門

       赤坂門

第5日目   虎ノ門

       幸橋門

       (芝口門)

       (浜大手門)

第6日目   鍛冶橋門

       呉服橋門

       常盤橋門

       神田橋門

       一ツ橋門

       雉子橋門

      

第7日目   竹橋門

       清水門

       田安門

       半蔵門

       外桜田門

       日比谷門

第8日目   馬場先門

       和田倉門

       大手門

       平川門

       北詰橋門

       西の丸大手門

       西の丸玄関門

       坂下門

       内桜田門(桔梗門)

       下乗門

       中ノ御門

       中雀門

門(見附)の名前を見ると今でも地名として残っていますね。