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昨日から中央競馬は中山開催です。中山競馬場へ出かけました。
一眼でお馬さんの写真も撮ってみたかったのです。
難しくてなかなか手が出せません。
パドックに行くと白いきれいな馬がいました。芦毛 というのだそうです。
バロンビスティー号です。
アップもいい男です。・・・・・
4着でした。
パドックでは馬が厩務員さんに引かれ、歩いて回ります。
馬の調子を見ながら、どの馬を買おうか考え、予想するのです。
4コーナーあたりで写真を撮りました。
次のレースです。 4コーナーにさしかかっています。
カメラを向けているとどの馬が1着か全然わかりません。
関係者の方はゴールの近くで、大きなレンズのカメラを持って撮っています。
ひと組私たちの近くでも撮っている方がいましたが、私のカメラが2回シャッターを押す間に20回くらい、
シャッター音がしたと思うくらい連続したシャッター音がしています。
馬券はパドックで暴れっぱなしの馬ともう1頭、元気な馬の組み合わせを買いました。
暴れ馬は1着だったのですが、もう1頭は5着くらいで外れでした。
もう一枚も外れ。残念です。
今日は、久しぶりにお日さまが一日中、顔を出し、暖かい一日でした。
演劇会費を届ける当番の月で千葉まで出かけました。
その後、売り場をきれいにした三越をのぞいてみました。
旅行用品をまとめたり、小物類をまとめたり、以前より見やすく、ゆったり感じました。
春の明るい色に誘われ、ブラウスを1枚買ってしまいました。
リモデルオープン記念ということで10%オフ。
その上、1万円で1回抽選のおまけ。
1枚だけですが、くじを引きました。
一番下はカイロの赤。
どうせ赤だろうと回したら、白い玉が出てきました。
笑顔で差し出してくださったのは白い封筒です。
¥1000也の商品券です。
ラッキー
このごろ、パソコンをやったり、重いものを持ったりするとすぐ背中が痛くなり、
これらをセーブしていて面白くなかった身にはうれしいプレゼントでした。
やりたいことが思うようにできなくなる不安も、ちょっぴり頭をよぎるこの頃です。
牛込橋を渡り、神楽坂へ向かいました。坂に沿って店が並んでいます。
坂を登りきった右側に本多横丁がありました。
本多修理の屋敷があったからだそうです。
もう少し行った左手には毘沙門天で知られる善国寺がありました。家康が幕府の祈願寺として手厚く保護したそうです。
この神楽坂の辺りは与力や御家人などの武家が住んでいたそうです。
本多横丁を抜け、右手に曲がると飯田橋に向かって坂が下っていて軽子坂です。
牛込揚場に荷揚げされる荷を運ぶ軽子たちがこのあたりに住んでいたので軽子坂といわれたのだそうです。
牛込揚場跡は水辺公園になっています。
途中の小石川後楽園は水戸家の上屋敷でした。
広い屋敷で梅がきれいでした。
外塀の水戸家の裏紋、六葉葵です。この塀外はいい散歩道になっています。
小石川後楽園の涵徳亭でお昼をいただきました。
お庭を眺めながら、安いお値段でいただけます。ビールもいただいて1000円からお釣りがきました。穴場ですね。
江戸城36見附を歩くという散歩も3回目を迎えます。今日は水道橋から飯田橋まで外堀沿いに歩きます。
神田川と交差している日本橋川を渡ると、飯田町遺跡の説明板がありました。
讃岐高松藩上屋敷跡です。
今はこんな具合です。
この建物のすぐ右が総武線のガード下になっています。
そこ辺りが旧小石川門があったあたりです。
このガードの向こうに神田川(外堀)をまたぐ小石川橋(見附)があるのですが、ちょうど橋の架け替え工事中でした。
迂回して小石川後楽園の脇を通り飯田橋方面へ向かいました。
途中、日中友好会館がありましたが、立派な建物です。
外堀通り、目白通り、大久保通りと大きな通りをまたぐ、とっても大きな歩道橋を渡ると飯田橋の駅でした。
飯田橋の駅に沿って西の方の市ヶ谷方面へ通り抜けると牛込橋です。
牛込見附のあったところで石垣が残っています。
このあたりは「江戸城外堀をブラタモリ」で紹介していました。
牛込橋から外堀を見下ろしたところです。中央線が平行して走っています。
~つづく~
オフィシャルサイトからお借りしました。
テレビで宣伝されていて興味深かったので見に行きました。
漫画家さいばらりえこさんは知らないし、漫画も見たことはないのですが。
明るく、前向きに、たくましく生きるかあさん、さいばらさん。
大いに笑ったり、少々驚いたり、切なくなったり、涙が出そうになったり、いい映画でした。
小泉今日子さん、永瀬正敏さん、二人ともうまくていいですね。
アルコール依存症からなんとか立ち直ったら、がんになった夫。
最後に家族の写真を撮る場面があるのですが、エンディングにその時の写真がモノクロで登場します。
なかなかいい感じで見いっていました。
なんと永瀬正敏さん撮影でした。
玄関の子供の靴の写真が良かったです。
2月になって暖かい日が続いていましたが、また明日から気温が下がるそうです。
読まずに返してしますことがほとんどです。
今回は、珍しく読み終えました。
宮部みゆき作 「孤宿の人」
時代小説ですが、飽きずに読みとおせました。
匙家(医者)のお嬢さんがその友に毒殺されるのに藩の事情により、
病死ということになるあたりから始まり、どんな展開になるのか・・・・・
ドキドキしながら読み始めました。
後半は幕府より預かった罪人(勘定方奉行)と阿呆のほうといわれる少女との
交流が読ませます。
あらすじをお知りになりたい方はこちらをどうぞ。
All Aboutの話題の本に書かれています。
相撲界が八百長のメールで大揺れです。
昨日の節分、主役である横綱初め力士たちも気が重かったことでしょう。
ささやかに豆まきをしました。
コンビニのお兄さんたちが鬼のチリチリ頭のかつらをかぶり盛んに売り込んでいるので
今年は恵方巻きを買ってきて食べました。今年の方角南南東を向いて。
南南東といってもおおよそです。方角は難しい。
小ぶりでも1本はなかなか大変です。
ご利益があるでしょうか。
以前、節分のイラストをブログ上で動かしていました。
基本的にはHTMLの編集に下のようなものを書くのですが。
<marquee>画像のURL(住所みたいなもの)</marquee>
前のものをコピーしていじってたらなんとかできました。
今はやりのイケメンおにいさんの豆まきって言えるかな?
以前やったのはこんな可愛い子供たちです。
今はこの画像はマイクロソフトのクリップアートにはありませんでした。
何か目的がないと歩くのは大儀なので、今回は千葉の花街だった蓮池散歩に出かけました。
明治になって県庁が千葉に開かれて、割烹や旅館ができ花街として発展したところです。
千葉市中央区中央3丁目で、現在の千葉銀座通りから、あずま通りのあたりまでの一帯です。
蓮池通りとして古い店が残っています。
その昔は蓮の花咲くく池があったので蓮池と言われたようです。
きぼーるの向かい側あたりに徳田秋声の「縮図」の一節を刻んだ蓮池碑がありました。
県庁の方へ向かっていくとお不動作ま(光明寺)がありました。
このあたりに、芸者屋が集まっていたそうで、その昔は蓮の池があったそうです。
千葉日報社刊の「千葉市風土記」の書かれていました。
相方が図書館から借りてくるのでちょっとのぞき見しました。
芸者さんと交流のあった方の名前も出ていたりしました。
座頭市の勝新太郎さんの名前も登場しました。お兄さんの若山富三郎さんはここで生まれたそうです。
この一角にある割烹早坂でお昼を食べました。
1時を回っていたので煮魚定食は終わり。ちょっと残念。
アジのたたきの定食をいただきました。
庶民的な感じで700円と安いお値段でした。
帰ってみれば12000歩の散歩で、少々足が痛くなりました。
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