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2010年9月21日 (火)

懐かしい羽釜

9月も後半なのに今日も真夏日です。

この暑さも明日まで、そのあとは秋らしくなるという予報に期待しています。

   

Photo

懐かしい羽釜です。

   

母の命日にお寺さんへいき、お経をあげていただきました。

その後、お茶をいただきながら、坊守さんがいろんなお話をしてくださいます。

結構、博学の方で仏さんのお話はもちろんのこと、政治、科学などいろんな話題に

及びます。

おしまいに、この羽釜を出していらっしゃいました。

お正月に黒豆を煮るのに探していらしたので、母が、この羽釜を

差し上げたらしいのです。

電気釜を使う前はこんな羽釜でご飯を炊いていたのですよね。

「この羽釜で煮ると、きれいな色に煮あがって美味しいのよ。」

と、大事に使ってくださっているのです。

   

また、門徒さんの家系図を書いた分厚いファインダーを持ってきて、

みせてくださいます。

昔は農家の人がほとんどだと思いますが、お寺に残った記録や

家族から聞いたことが書き加えられています。

手書きです。

門徒が大事にされている気がしてうれしいものです。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ブログを開いたとたんに懐かしい写真が飛び込みました。
ハガマ懐かしいですね。
”初めチョロチョロ中パッパ赤子泣くとも蓋取るな”
でしたね。

こんばんは、mokaさん。
羽釜ですかーーー。
随分昔に見たようなと思います。
わたしは、残念ながら羽釜で豆も
ご飯も炊いたことはありませんが、
懐かしいですね。
坊守りさんが大事に使って下さって
うれしいですね。
mokaさんのお母様もきっとお喜びでしょう。
門徒さんの家系図を手書きで丁寧に書いて
下さっているって、本当に門徒さんを
大事にして下さっていますよね~~。

九州へお帰りだったのですね.
羽釜は懐かしいです。お母さんの羽釜が
使い続けて貰っていたのですね。
嬉しいですね。
子供の頃これで上手にご飯炊きましたよ。
ごはんがおいしかったですねぇー、

島原へ行かれたのですね。三姉妹とは羨ましいです。
島原は市内からは熊本港から高速船で渡ります。今度は災害記念館や山の方へも登って見てください。
またちがう島原に出会えますよ。

ずいぶんと使いこまれていますね。我が家にもまだ大中2個あります。鋳物の蒸し器を乗せるのに使っています。もち米を蒸したり、おこわを蒸したり、昔は大豆や黒豆を煮るのにも使っていました。
10歳頃から薪を燃やして、羽釜でご飯を炊いてましたから、今も出来ます。ガスで普通の鍋で炊く時も度々、炊飯器で炊くのを忘れた時に、短時間で炊きあがりますから。(笑い)
坊守さんの言葉から、真宗でいらっしゃるのかなと思いました。

こんにちわ~♪

なつかしいお釜です。羽釜という名前なんですね!
小さい頃は、コンロの上に、このお釜をのせてご飯を炊いていました。
手を入れて水加減をしていましたね

羽釜・・・、懐かしいですね~。
結婚当時は確かまだ羽釜を使っていました。
電気釜やガス釜を使うようになって「こんな古臭いのは・・・」と当然のように処分してしまいましたが、残して置けばよかったと後悔しています。
はじめちょろちょろ…のご飯が一番おいしいですね。
三井倶楽部の建物は木材の直線のデザインが美しい建物です。門司で見ましたが、大牟田にもあるのですね。
大切に残しておきたい建物です。
近くにいながら復興遂げた島原にはまだ行っていません。
写真を拝見しているとなかなか旅情を誘います。行ってみたくなりました。

お母様の法事でしたか?
縁の者が集まって故人を偲ぶ・・・
故人のエピソードも聞く事ができてよい時間でしたね!
故郷はいいでしょ~
mokaさんの心にいつもあるのですね!

くーこさん、こんにちは~
懐かしいですね、子供の頃、この羽釜の火の番をしていましたね。スイッチポンとはいかない時代でした。

浜辺の月さん、こんにちは~
農家でしたので割に遅くまで羽釜が使われていました。
檀家さんの手伝ってくださる方ががよく磨いてくださるのよとおっしゃっていました。

すずさん、こんにちは~
昔はこんな羽釜でたくさん炊いていたので余計おいしかったのでしょうね。盆、正月には1升くらい炊いたご飯を従兄弟たちと競って食べていました。美味しかったですね。
熊本だと三角港からですね。災害記念館も行きたかったのですが、出だしが遅かったので、次回に持ち越しにしました。

kazuyoo60さん、こんにちは~
お寺さんで黒豆を炊かれるようになってから、よりく黒光りしているような気がします。kazuyooさんはまだこれでおこめを炊けますか?私は忘れてかもしれません。昔は薪だけでなく、麦わらを干したものも使っていましたよ。

こしあぶらさん、こんにちは~
羽のようについているからでしょうね。水加減は手を入れて・・・懐かしいですね。いまはメモリですね。

チャグままさん、こんにちは~
今の子供たちに見せても何に使うかわからないでしょうね。
黒豆を煮るには古釘なんて入りませんものね。田舎の家はガラクタを残しておく場所があるからいいですね。
三井さんはやはり金持だったのですね。
島原の災害記念館も行きたかったのですが。
大牟田からは高速船が出ているようですね。

とんちゃん、こんにちは~
法事ではなかったのですが、きょうだいで集まる用があり、ちょうど母の命日を挟んでいたので、お経をあげていただいたのです。ちょっと離れたところにあるお寺さんなのですが、母の姉妹3人の嫁ぎ先もみんな同じ檀家なのでより話がはずみます。

羽窯いつ頃見たのかな?
母の背中を思い出します。懐かしい~。
思い出してあまた姉妹で会話も弾んだことでしょうね。

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