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2006年4月

2006年4月30日 (日)

すき焼きのお肉

夕べ、久しぶりにすき焼きでもしようと、三越の地下へ行きました。

安くて美味しそうなお肉はどれかなと物色していると
「すき焼きの一番高いお肉はどれですか?」
と言う声の主を見ると若い男性です。
「その肉全部下さい。」
と、100グラム1200円のお肉を計ってもらっています。
約300グラムです。
又次に高いお肉を指差して、
「それも全部ください。」
と、100グラム980円のお肉を約500グラム。
そこまで聞いて、私はもっと安い肉を少しだけ買ってうらやましげにその場を離れました。
でも全部で1万円足らずと思うと外で食べるよりはグーンと安いな。
競馬で当ててもらってこんな高いお肉ですき焼きをしようかしら。

2006年4月29日 (土)

キューリー夫人

千葉演劇を見る会の第90回例会は「キューリー夫人」でした。
黒柳徹子を迎えての青年劇場の公演です。
ポーランドからきたマリア・スクロドフスカ(キューリー夫人)がピエール・キューリーの研究室に来て

女性である外国人であるというハンディをものともせず研究に向かうひたむきさ、

バイタリティが感じられるコメディタッチの作品でした。

3時間近い作品でしたが引き込まれるように楽しく見ました。
実験設備のたくさんある舞台がおもちゃの国のようでした。

純粋なラジウムを測定する精密機械は明かりが「ピ、ピ、ピ」と動いて振り切れるし、

取り出した「ラジウム」は黄緑の蛍光色に光るし、大道具、小道具さんの工夫、

苦心が見え、興味深かったです。

いつものようにお芝居の後、黒柳徹子さんが挨拶をされました。

キューリー夫人は夫のピエール達と放射能の発見でノーベル物理学賞を、

次はラジウムの発見でノーベル化学賞を受賞しました。

又、長女のイレーヌもその夫と共に人工放射の研究でノーベル化学賞を受賞したそうです。

ユニセフがノーベル平和賞を受賞したときの受賞者がキューリー夫人の次女の家族

(詳しいことはわすれました)ということでキューリー家ノーベル賞4個も受賞しているのです。

徹子さんは「前回は、90歳の認知症のおばあさんを演じたし、今日はノーベル賞を

4個もとった母なのよ。」とお芝居の楽しさを語られていました。
お話のうまさ、ひたむきさに帰りには「トットちゃん募金箱」に手を差し伸べる方がほとんどでした。

2006年4月28日 (金)

寂しいなあ!

Photo_117 世の中を騒がせた、アスベスト問題。

近くの小学校は、アスベスト除去工事のため、隣の学校へお引越し中です。

その代わりに毎朝、登校してくるのは工事関係の方の車です。

先日は、列をなした小学生が学校の校庭を一回りして遠足へ出かけていたようで

ほんの一瞬にぎやかな声が聞こえていましたが、その後毎日静まり返った校庭です。

夏休みも終わった9月まで主のいない寂しい小学校です。

2006年4月24日 (月)

プラド美術館展&タルト

プラド美術館展を娘と観に行きました。

日曜日なのに待つこともなくすぐ入館できたのは意外でした。
何の予備知識もなく行ったので解説テープを借りてみました。
プラド美術館所蔵の作品のうち16~18世紀のものが集められているそうです。
宗教画や肖像画がほとんどの中、静物画があったのは思いがけないことでした。

宗教画でもここに展示されているものは明るく柔らかい感じを受けました。
音楽と同様に王室お抱えの画家たちがいて、弟子たちと作品を作っていくのですね。

ルーベンスは60枚もの絵の製作を依頼され、デッサンをすると後は弟子たちに任せたりしていたが、

「ヒッポダメイアの略奪」は最後まで自ら、仕上げたと解説していました。

Photo_116 Photo_115

絵画鑑賞の後、疲れた脚を癒すべくタルトの店「キルフェボン」へ

行きました。

人気の店で「1時間あまりの待ち時間です。」と言われました。
「又、食べられないね。残念。」とお店を出ようとしました。
「お客さん、何度もお召し上がりになれないのは申し訳ないので

何とかしましょう、しばらくお待ちくださいませんか?」
10分あまりで席に案内してもらえました。
「赤いフルーツのタルト」と「グレープフルーツのタルト」をそれぞれ頼みましたが、

うわさどおり美味しかったです。

花より団子の口でした。

2006年4月21日 (金)

寝ずの番

マキノ雅彦監督作品というので観たいと思っていた「寝ずの番」を観に行きました。
お通夜での故人の思い出話、踊り、歌、どれをとっても芸達者な役者たちは笑わせてくれました。落語の師匠だけでなく一番弟子や、おかみさんまであの世に送り、3回も寝ずの番をやるサービス振りです。
仏様にらくだのカンカン踊りをさせたり、少々エッチなしゃれた座敷歌合戦をやったり、日本の大人向けの面白い映画でした。
茶髪の弟子が妙に印象に残る俳優さんでした。「木下ほうか」

2006年4月20日 (木)

救急車やら セルシオやら

_1_9 今朝、グループホームにいるおじいちゃんがトイレに行ったとき転倒、

お尻を打ち痛くてベッドに横になることも出来ないという連絡が入りました。

病院に連れて行こうと思いましたが、「痛い、痛い」と

車椅子に乗るのも嫌がります。

車に乗せるのは無理だから、介護タクシーでも利用しようと思ったのですが、

予約がないと無理だそうです。
申し訳ないけど救急車をお願いしました。ところがいつも行っている病院に断られたのを

皮切りに隊員の方が連絡をしても受け入れOKの返事がありません。

それから、「93歳男性、転倒、腰を打つ。普段は歩行可能、今歩けず・・・・・・・」

と繰り返し、繰り返し電話される声が聞こえます。

だんだん身の置き所がない気分になり体が硬くなるのがわかります。

10回以上繰り返しやっと受け入れ先が見つかったのは30分以上たってからです
これが一刻を争う病状だったら、もう生きた心地はしないでしょう。

検査の結果、骨折もなくしばらく様子を見て帰宅することができました。

まだまだ痛みはありますが。

九州に行ってた夫がタクシーを拾って迎えに来ました。黒塗りの個人タクシーです。

うまく車に乗れるかなと心配だったのですが、ドアが開くと広い車内で座席も高めで

うまく乗ることができました。
「クラウンですか?」
「いいえ、セルシオです。」
「こんな立派な車じゃ、元を取るのが大変ですね。」
とおしゃべりしながら、快適な乗り心地でおじいちゃんも気分良さそうでした。

行きはがたがた揺れる救急車で何度も顔をしかめていたのですが。
こんないい車のタクシーに当たったのはご褒美のようで嬉しかったですね。

もう一つ病院もかわったなあと思ったこと。
支払いが機械なんです。診察カードを入れ、お金を入れ、おつりをもらい、

領収書がでてきて、カードを受け取る。というシステムです。
ところが患者は高齢者が多いので、「ぴーぴーぴーぴー」警告音がしょっちゅうなります。

カードのとり忘れです。

  歳をとると大変なことをたくさん、見聞きした一日でした。

2006年4月16日 (日)

「風力六番」

「竜馬がゆく」を読んでいたら次のような場面がありました。
蟠竜丸に乗って江戸へ向かう途中、竜馬は 航海日誌に 

「月色皎朗、深夜、驟雨一陣」「風力六番」と書き入れる。
そして風力について作者は続けている。
風力六番とは「雄風」のことで、風速は11、2メートル、帆走に都合がいい。

この頃の航海用語での風は〇番から十二番まで区分されていた。〇番から順に
無風   至軽風(3、18メートル)   軽風    軟風    和風 疾風  

  雄風    強風   疾強風   大強風   全強風  暴風    颶風(ぐふう)

漢字で書かれるとなにやら、風の強さが感じられるような気がしますし、

昔のように言葉で表すと想像をかきたてられるようで面白いなと思います。_1_8

「至軽風」で検索したら、「ビューフォート風力階級」 「気象庁風力階級表」などが

見つかりもっと具体的に風の強さなどが記されていました。

2006年4月14日 (金)

こんなとこにお花?

Photo_111 1_5

買い物から帰り、トランクから荷物を出していると、可愛い花が目に入りました。
今まで見逃していたんですね。コンクリートの間でけなげに咲いています。

Photo_112 Photo_113 Photo_114

周りを見渡すと結構ありました。

2006年4月13日 (木)

映画「プロデューサーズ」

_1_6 久しぶりに一人で映画を見ました。

かってのブロードウェー・ミュージカルの大物プロデューサー、

マックス(ネイサン・レイン)とプロデューサー願望のある

気弱な会計士レオ(マシュー・プロデリク)が組んで、

打ち切り確実の最低のミュージカル「春の日のヒトラー」を上演し、

余った制作費を持ち逃げしようとしたが、

意に反してミュージカルは大ヒットし刑務所へ・・・・・・

どたばたした展開に感じましたが、出演者の芸達者ぶりに充分楽しみました。
舞台装置も衣装も展開も楽しませる演出がいっぱいでした。
次々出演者が登場しますが、ほとんど男性というのも ブロードウェーミュージカルを

知らない私には驚きでしたし、それがなかなか面白かったです。

その男性たちに美男子、スタイル抜群とか登場しないのです。そこも案外いいですよ。
唯一の女性ともいえる秘書、踊り子もやるウーラ(ユマ・サーマン)はスタイル抜群、

歌も素晴らしかったです。

2006年4月 9日 (日)

花筏・・・・・

Photo_109 関東地区に住んでいる高校の同窓生の仲間での観桜会に参加しました。

男性陣が食料、飲み物を調達してくれるのを待つ間、千鳥が淵の散り始めた桜を眺めていました。
花びらが吹き寄せられ溜まっているところがありました。
それを見て、ある男性氏が「これを花筏というんですよ。」と教えてくれました。

仲間が以前、旅した、津軽城の花筏はもっと素晴らしかったそうです。

ネットを検索していたら、桜に関する美しい言葉が紹介されていました。

 花盛り   零れ桜(こぼれざくら)   桜吹雪   花筏

 花の浮き橋   桜影   桜陰  花衣  桜人  花疲れ

               (All aboutの暮らしの歳時記より)
詳しくは次のURLへ
           http://allabout.co.jp/family/seasonalevent/closeup/CU20060308A/index2.htm

Photo_110 地下鉄の駅で見つけたポスターです。

江戸しぐさの記事を新聞で見たばかりだったのでGood Timing、
東京では新聞記事の通り、江戸しぐさの普及に力を入れているのを実感しました。

2006年4月 7日 (金)

「江戸しぐさ」 

今に生きる思いやり   (読売新聞記事より)

「江戸しぐさ」は、江戸時代、世界でも有数の人口過密都市だった江戸で、

お互いを尊重しつつ、気持ちよく生活をするため生み出された庶民の知恵で、

それを道徳の時間に取り上げる動きが広がっているそうです。例えば

「傘かしげ」
  雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違う。

「こぶし腰浮かせ」
  乗合船で後から、来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作る。

「時泥棒」
  断りなく押しかけ、相手の時間を勝手に使うことを禁じる。

「うかつしぐさ」
  自分の過ちを素直に認める。

などなど。

これらのことは ごく当たり前のことですが、世の中つまらないことからのトラブルが多く、

モラルが低下しているのでこういうことが声高に言われるのでしょうね。

子供の頃、家の前の道路を掃くのは子供の仕事でした。
そのとき、祖母に毎朝のように言われました。
 「隣の前まで一尺か二尺、重なるよう掃きなさい。」
これなども、うまい言葉はないけれど同じことですよね。

相手のこと、周りのことを考えて生活したら、世の中すごく暮らしやすくなるでしょうね。

こういうことを教える年寄りの役割に発奮しなきゃいけないかな。

2006年4月 6日 (木)

桜・花びら・さくら

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♪春になると各地で桜便りが聞かれます。
有名な桜でなくてもあちこちの公園、家々の庭先、緑道、川沿いと
随分楽しむことができました。
日本は本当に桜が多いんだなと改めて感じました。
そこで今度はこのブログの背景に桜の花びらを散らしたくなり、試行
錯誤しました。小さな画像を縦(y軸)、横(x軸)に繰り返し並べる
方法が何とかできました。

2006年4月 5日 (水)

トラックバック

ブログができるようになり、お友達もでき、楽しんでいたら、困った問題が起きました。
それは同じ人がいくつも同時にトラックバックをつける事です。

本当に記事を読む気がないのは見え、見えです。
毎回削除するのは面倒だし、嫌な文字は見たくないしものです。
トラックバックのことはわかりづらいし、自分ではほとんど使わないのでヘルプを見ながら、

受け付けないにしてみました。
一度はうまく行かず、今朝又 10個くらいついていたのでもう一度やり直しました。
うまく行けばいいのですが。
不要な勧誘の電話を受けている気分です。

2006年4月 3日 (月)

深川散歩

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友人7人で深川散歩に出かけました。
深川不動堂にお参りすると大きなわらじのお守りがあります。
「足腰が丈夫で何時までもみんなで散歩が楽しめますように!」と
わらじの絵馬を書きました。
お隣の富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地だそうで横綱力士碑や巨人力士碑などがありました。
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お腹がすいたところで八幡様前の深川宿でレディスオススメの
辰巳好みという深川飯を食べました。
ミニのぶっかけと炊き込みとの組み合わせでかなりのボリュームが
ありましたがしっかりお腹に収まりました。
江戸博物館、清澄庭園と再びのんびり散歩を続けました。
周りはお寺が多く、仙台掘川沿いの桜は満開でした。
締めくくりは、やはり「ケーキセットでのおしゃべり!」 でした。

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